~すべての人を健康に 人のすべてを健康に~
アバンダンスプランニング代表 大刀あゆ未です。
私は33歳の時に、膠原病で全身性エリテマトーデス(SLE)という難病を発症しました。
今回は、その病気の克服体験を、ちょっと不思議な視点からお話ししたいと思います。
SLEとはどんな病気かと言いますと、一言で言って免疫異常。
自分の免疫が、敵と味方の区別がつかなくなって自分の細胞を攻撃し、
全身に炎症が起きる病気。放っておけば多臓器不全で死ぬ病気。
5年後に生きてる確率10%という類のものでした。
医学的には原因不明、治療法もない難病指定。
対症療法として、炎症を抑えるステロイド、
抑えきれなくなったら免疫そのものを抑制する免疫抑制剤というものでした。
”冗談じゃない!”
これが私の最初の思いでした。
何故なら、子供のころからのアトピー治療にステロイドを用いてきて、
その結果ステロイド皮膚炎という副作用で大変な思いをした経験が20代にあったから。
ステロイドなんか二度と使わない!
だから病院の治療は一切受けない!
これが私の最初の決断でした。
決断というのはすごいもので、
決断をすると道が開けます。
揺るぎない決断でなければなりませんが。
そしたら目の前に「免疫陶板浴」が現れました。
ちょうどその頃に、私が取締役を務める(株)オーケンの健康住宅推進の一環で、
社内にこの免疫陶板浴が完成したのです。
そしてもう一つ言えば、その免疫陶板浴に付随して、
免疫学の権威安保徹博士のたくさんの著書も私の目の前に現れました。
よし!免疫陶板浴で治すぞ!
二番目の決断はこれでした。
毎日毎日、朝に夕に免疫陶板浴に入りました。
免疫陶板浴は、服を着たまま気軽に入れる施設です。
汗をかくことを目的とせず、低温低湿の空気でくるまれて温められる優しさが特徴です。
症状は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、年々良くなっていきました。
ここで学んだのは、体調が良くなったり悪くなったりするときに沸き起こる、
自分の感情の身勝手さです。
調子が良い時はいくらでも前を向けますが、
調子が悪くなるとすぐ後ろ向きになるんです。
”やっぱりこの病気は治らないんじゃないか”と。
結局ね、病気と闘ってるんじゃない、
都合が悪くなるとすぐに後ろ向きになる、
弱くて身勝手な自分と闘ってるってことが分かりました。
辛い時こそ前を向けるかだなぁ。
自分の決断を信じ続ける信念が試されてるなぁ。
そんなんで4年の月日が流れ、自覚症状としては免疫陶板浴だけで
最初の頃の半分以下くらいの実感になっていました。
大好きな海外旅行にも行けるようになり、そのとき行ったのが聖地シャスタでした。
シャスタに行く流れにもまた不思議な力が働いてたのですが、それはまた別の時に綴るとして、
その”宇宙の神々が集う聖地”とも言われるシャスタで、
滞在先に選んだヒーラーさんのお宅で、私は一冊の本に出会いました。
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”いのちの鎖ってなんだろう” すごく惹かれたのを覚えています。
当時、パラパラと読みだしましたが、時間が無かったのと難しかったのとで読み進められませんでした。
ですが、それに関連した特許栄養素のことをそのヒーラーの方に教えていただき、
ちょっと興味を持った私は、申込書の書き方を教えてもらいました。
数日後、シャスタの湧水を汲みに行ってた場所で、
命の次に大事にしていた特殊なサングラスを無くすという大事件が起きました。
それは、私のSLE対策の必須アイテムで、紫外線を99%カットし、
細胞の炎症から来る倦怠感から私の体を守ってくれる特別なものでした。
探しても探してもなくて、”あれがなかったら…”と途方にくれたのですが、
一緒に行っていた妹が、
「きっと神様が『こんなもの持たなくても良くなるよ』って言ってるじゃない」
な~んて言うので、その気になって帰国しました。
帰国した翌週、山田豊文先生に出会いまして、
「あなた、ファスティングしなさい。そして僕のところに勉強に来なさい」
と半ば強引に勧められ、
あれよあれよと山田式ミネラルファスティングを行うことになり、
あれよあれよとお医者さんばかりの山田先生の勉強会に参加することになりました。
山田先生とは…分子整合医学、細胞環境デザイン学の権威で、杏林予防医学研究所所長で、
球団やゴルファーなどプロのスポーツ選手、歌手、有名人の肉体改造や健康管理を
さってる方。
ともかく、最新栄養学をむさぼるように学びまくりました。
そんな中でふと、申し込むのを忘れてたことを思い出したのが、特許栄養素でした。
取り寄せてみると、3日目で効果を実感したことを覚えています。
”なんなんだ?!この栄養素は!”
とまた、むさぼるように特許栄養素について学びまくりました。
その中でもう一冊、運命の本に出会いました。
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一連のこれらの出来事が起こったのは2010年です。
私の運命が大きく動いた年です。
ここからのことはまた別の機会に綴りましょう